マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙
監督:フィリダ・ロイド
出演:メリル・ストリープ/ジム・ブロードベント/アレクサンドラ・ローチ/ハリー・ロイド/オリヴィア・コールマン/イアン・グレン/エマ・デューハースト/スーザン・ブラウン/ニコラス・ファレル/ジョン・セッションズ/アンソニー・ヘッド/ジュリアン・ワダム/リチャード・E・グラント/アンガス・ライト/ロジャー・アラム/マイケル・ペニントン/ピップ・トレンス/ニック・ダニング/デイヴィッド・リントール/エロイーズ・ウェッブ/アレクサンダー・ベアーズレイ
30点満点中18点=監4/話2/出4/芸4/技4
【鉄の女と呼ばれた彼女】
食料品店の店主にして市長も務めた父のもとに生まれ、ビジネスマンのデニスと結婚、双子をもうけたマーガレット・サッチャー。彼女には、英保守党に属する政治家としての強くて熱い意志があった。教育大臣から党首、そして英国初の女性首相となったマーガレットは、財政危機や失業者増、フォークランド紛争といった難題に立ち向かい、“鉄の女”と呼ばれるようになる。やがて夫に先立たれ、政界からも退き、老いた彼女の日々は……。
(2011年 イギリス/フランス)
【芝居や作りは見事だけれど】
メリル・ストリープが圧倒的なまでの芝居力で、現役時と引退後のマーガレット・サッチャーを演じ分けながら、ひとりのキャラクターとしての存在感をフィルム上に刻み込んでいる。
演技を支えるヘアメイクや衣装の仕事も立派だし、多彩なサイズとアングル、たっぷりとした陰影で芝居をしっかりと拾い上げていく撮影、回想と現在とをシームレスにつなぐ編集にも味がある。
もう明らかに“メリル・ストリープによるサッチャー”を「見せるんだ」という作り。
興味深いのは、鏡にうつったサッチャー、という絵の多用。恐らくは彼女の中にある多面性を表現するものなのだろう。妻や母といった“女”としての役割と、政治家としての“公的な職業人”の狭間にいる女性首相の姿を表出させているわけだ。
その部分も含めて“対比”が1つのテーマか。「みんな『何をするか』よりも『何になるか』が大切だと思っている」とか「どう感じるかではなく、どう考えるかが重要なはず」といったセリフで、サッチャーに政治信条や哲学を語らせる。
そもそも「争いのあるところに調和を、誤りのあるところに真実を、疑いのあるところに信頼を、絶望のあるところに希望を」が就任時の弁。現状や正しくないモノに対する批判精神と対論が彼女の強さの源であるわけだ。
ただ、せっかくの芝居と演出プラン、テーマ性などに深みを与えるほどのストーリーではないと感じた。
単なる伝記にはせず、出来事を絞り、サッチャーの過去や実績と現在の姿のギャップにスポットを当て、彼女が実在の人物であろうがフィクションであろうが気にならないようなまとめにしたこと自体は正解だと思う。
事件は政治を動かすより前に人の進む道を変えるという事実も伝わってくるし、「手が濡れているから」とオックスフォードの合格通知を手にすることを拒む姿から母親の価値観が浮かび上がったり、出会いからプロポーズの言葉までで「いい旦那だなぁ」と感じさせる流れの良さがあったりなど、語りすぎることなく人物を浮かび上がらせている部分もある。
だが、サッチャーの掲げる新自由主義がどのように育まれたのか、政策が市民にどう受け止められたのか、それによって彼女がどう苦悩し変容したのか、夫デニスがどのように妻を支えたのか、娘や息子との関係はどうだったのか……。時代の流れ、サッチャーの立ち位置、家族や周辺との人間関係などが十分に掘り下げられず、有機的につながっていないため、物語としての浅さを感じるというか、「これこれこうだから、彼女はこう行動し、こういう人間になった」という部分に納得できないのだ。
たとえば(ありきたりだけれど)、家庭と仕事との対比の中で家庭を疎かにしたことへの悔恨、といった軸を鮮明にすれば、もう少し印象も違ってきただろうな、と思ったりする。
●主なスタッフ
撮影は『トワイライト~初恋~』のエリオット・デイヴィス、編集は『消されたヘッドライン』のジャスティン・ライト、衣装は『クィーン』のコンソラータ・ボイル。ヘアメイクは『恋するベーカリー』などメリル・ストリープを支え続けるJ・ロイ・ヘランドら。
音楽は『ペイド・バック』などのトーマス・ニューマン、サウンドチームは『ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島』のナイジェル・ストーンやジャック・ウィテカー。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント