人生の特等席
監督:ロバート・ロレンツ
出演:クリント・イーストウッド/エイミー・アダムス/ジャスティン・ティンバーレイク/マシュー・リラード/ロバート・パトリック/ボブ・ガントン/ジョージ・ウィナー/スコット・イーストウッド/ジョー・マッシンギル/チェルシー・ロス/レイモンド・アンソニー・トーマス/エド・ローター/ジェイ・ギャロウェイ/タイラー・シルバ/ノーマ・アルバレス/ジェームズ・パトリック・フリートリー/ジョン・グッドマン
30点満点中18点=監3/話3/出4/芸4/技4
【父と娘の歩む先】
アトランタ・ブレーブスのベテラン・スカウトマン、ガス。数々の有能な選手を発掘してきた彼だったが、いまや目も体力も衰え、パソコンによる成績分析も嫌うことからチーム内で居場所を失いつつあった。その娘で弁護士のミッキーは、ガスの旧友ピートから父の現況を聞かされ、パートナーへの昇進を間近に控えながら故郷へと向かう。父娘間のわだかまりを抱えつつ、ドラフト1位候補とされる高校生スラッガーの試合を見守るふたりは……。
(2012年 アメリカ)
【師匠よりポジティヴ】
監督はイーストウッドのお弟子さん的な人物で、スタッフもイーストウッド組。そりゃあ師匠の作風に似る部分が出てきても不思議じゃない。その場感を重視した音と光、陰影に富む画面。
とりわけ、芝居を大切にするという意識が師匠譲りか。単に各人の演技をたっぷり見せるのではなく、たとえばガスがスっとミッキーを気遣うような仕草を示すなど、何気ない動きで人となりや関係性を感じさせる、という方向性が感じられる。
かといって、じゃあまるまるイーストウッドかというとそうでもない。師匠にはない軽快さとか健やかさがある。師匠と同じく“人生”をテーマとしながら、そのベースに辛さや悲哀や負の要素も置きながら、どこか明るい。
師匠の映画や、その娘アリソン・イーストウッドの『レールズ&タイズ』は、人生に「いろんなものを抱えながら生きていかねばならない」という静かな使命感を漂わせているのに対し、こちらは「確かにいろいろ抱えているけれど、そう捨てたもんじゃない」とポジティヴに構える。
そのあたり、弟子としてのカウンターといったところか。
パソコンを使わず膨大な資料を手仕事でまとめているガス。ところがそれを「無駄な時間じゃない。楽しんでる」と彼はいう。あるいは、自分が投げたり打ったりするのではなく、才能ある誰かを見つけてくるだけの日陰の仕事に「スカウトが野球を決める」と矜持を抱く。
そういう姿勢や価値観、自分の進む道をポジティヴに捉えるのが、まさに本作の特徴なんである。
英語ではノーヒット・ノーランを「ノー・ノー」って略すんだ、という発見があったり、ストーリーの主軸にちゃんとスカウトの仕事がかかわってきたりして、作り手が野球を知っている(少なくとも自分にとっての野球観を持っている)よね、スポーツのなんたるかを知っているよね、設定を無駄にせず責任を果たしているよね、と感じさせる点は誠実。
その中に与太話や恋を埋め込んでリズムに変化をもたらしたり、トータルとして“自分の道を自分で決めて進むことの難しさ”を考えさせたり、ストーリー的なまとまりは良好だ。
ただ、ウエルメイドすぎるというか都合がよすぎるというか、この設定と流れの中で考えられる限り最善最良な展開・構成の物語。「そう捨てたもんじゃない」にもホドがある、とも思う。全体に説明しすぎで喋りすぎでもあるし。
性格設定や人物配置も、かなり安直。「この人、こういう役割を果たすんだろうな」と思った通りになる。だいたい、クリント・イーストウッドの頑固親父も、エイミー・アダムスの“できる娘”も、ジャスティン・ティンバーレイクの軽いけれど真面目で熱い青年も、イヤミなマシュー・リラードも、実直なロバート・パトリックも、人が良さそうに見えて利益第一なボブ・ガントンも、友達思いのジョン・グッドマンも、そのまんまというイメージのキャスティングだ。
もちろん、その人間性善説的な、捨てたもんじゃない的な雰囲気が本作の魅力であることは確か。それを真面目に手堅く軽快に、ポジティヴさをそのまま生かして撮ったような仕上がりである。
●主なスタッフ
撮影/トム・スターン『ハンガー・ゲーム』
編集/ゲイリー・ローチ『ヒア アフター』
編集/ジョエル・コックス『インビクタス』
美術/ジェームズ・J・ムラカミ『グラン・トリノ』
衣装/デボラ・ホッパー『チェンジリング』
音楽/マルコ・ベルトラミ『キャリー』
音響/アラン・ロバート・マーレイ『硫黄島からの手紙』
音響/バブ・アズマン『復讐捜査線』
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