レディ・プレイヤー1
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:タイ・シェリダン/オリヴィア・クック/ベン・メンデルソーン/レナ・ウェイシー/森崎ウィン/フィリップ・ツァオ/T・J・ミラー/ハナ・ジョン=カーメン/ラルフ・イネソン/スーザン・リンチ/クレア・ヒギンス/ローレンス・スペルマン/サイモン・ペッグ/マーク・ライランス
30点満点中21点=監5/話3/出4/芸5/技4
【あらすじ……この世界を手にするのは誰だ?】
2045年。仮想現実空間“オアシス”の中では、開発者ハリデーが隠した3つの鍵を探すゲームが白熱。その鍵で扉を開けてイースター・エッグを手に入れればオアシスの所有権を得られるとあって、ライバル企業IOIも多数のプレーヤーを送り込んでいた。スラムで暮らす青年ウェイドも“パーシバル”と名乗ってゲームに参加。第1の鍵を最初に獲得したことで、彼の運命は動き出す。
(2018年 アメリカ)
【内容について……オタ上等+現実こそがリアル】
始まって10分くらいで「スピルバーグめ、上手いことやりやがったな」と感じた。これ、原作があるとはいえスピルバーグの欲望具現化とストレス解消って部分が大きいんじゃないか。
たぶんこの人、ふだんからアレもやりたいコレもやりたいって考えてる。実際にアレコレと手を出し、しかも作品を仕上げるスピードがめちゃくちゃ速いんだけれど、それでもまだ時間が足りない、身体が足りない、こっちは諦めるしかないか、あー先を越されちゃった……って地団駄を踏む毎日なのだ。
そんなとき原作と出会って「あ、そうか。1本にみんな詰め込んじゃえばいいんだ」って気づいたんだな。
もちろん本作に登場するキャラクター/設定/展開/美術の元ネタは、その大半が原作から来ているはず。映画化にあたっても原作者の意向がかなり反映されているそうだし、散りばめられた“イースター・エッグ”の数々は「美術やVFXのスタッフがオタク・マインドを全開にしてアイディアを出しあって、さぞかし楽しんだんだろうな」と思わせる。
それら周囲の“熱”を理解して受け入れつつ(スピルバーグ自身もゲーオタらしいし)、『市民ケーン』やクロサワへのリスペクトを埋め込んだのが、映画オタとしての本懐。『インセプション』とか『トゥルーマン・ショー』を思わせる描写からは「私もこういうのを作りたかったんだよぉ」っていうスピルバーグの叫びが聞こえてくるようだ。
可愛いぞ、スピルバーグ。『キングコング』も『トランスフォーマー』も撮りたかったんだろ。
上記各作品、もちろんスピルバーグ監督作、『AKIRA』、あと『アイアン・ジャイアント』も『シャイニング』も、ほんと観ていて良かった。例のセリフに目頭が熱くなり、さらにアイツとアイツが戦うなんて日本人としては愉悦至極でございますよ。
ただ本作がオタク・マインドを刺激するのは、そうした小ネタや借用要素を詰め込んであるからだけじゃない。
まず、人類がさまざまな問題の解決を諦めてしまい、人々は仮想現実空間へ逃避している、という設定が肝。
ボクらオタの多くも、心のどこかに痒みというか、「ホントはこんなことしている場合じゃないんだけれどね」という軽い“恥”を抱えながら、趣味や非生産的な活動に没頭している(よね)。本作の世界と登場人物たちは、現代とそこに生きる人々の投影だ。
ところがVR世界の中でパーシバルやアルテミスは、問題解決のためにガチで奮闘しなければならない事態に直面。やがてそれは現実世界に生きるウェイドやサマンサにも波及する。
最後には、あっちの世界を救うためにはこっちの世界で頑張らなきゃいけなくて、こっちの世界の窮地を打開するためにはあっちの世界を駆けまわる必要がある、という混沌へと至る。
その混沌をハイファイブやガンターたちがオタク・マインドを武器として乗り越えていく様子を描く。結局のところ自分の好きなモノを楽しもうとすれば、何かしら突破しなければならない壁に突き当たることはあって、そのとき頼りになるのは、ほかならない「俺はコレが好き」という熱さなのだ。オタ上等!
ただし本作は「現実こそがリアル」ってことも伝える。すんごく当たり前の説教である。
けどVR世界やオタ魂を一切否定せず、矮小化もせず、まぁ「ちょっと控えめにね」とは言ってくるものの、仮想現実と現実とをシームレスに結びつけて「どっちも僕らには大切」と打ち出してきたことが素晴らしい。
そう、オタの楽しみの半分は、没入、没頭、散財、理解されなくったっていいもんという自己憐憫のフリをした自己愛……といった内向きの行為と思考にある。でも残りの半分は、空想&妄想&コレクションの開陳と共有=外向きの行動にあるわけで。
久しぶりに「この映画のこと、誰かと話したい」って思えたんだけれど、そのためには現実世界でのつながりが不可欠。そして、VR世界(趣味の世界)で見聞きしたことが現実世界のブレイクスルーにつながることもあるだろうし、リアルがあってこそ空想には深みも生まれるってもの。うん、どっちも僕らには大切なのだ。
Wikipediaのスピルバーグの項に、こんな記述がある。
「映画というのは、1人でノートパソコンで見るより、知らない者同士が映画館に集まって、一緒にチカチカする映像を見るものだ」
まさしく、そういう楽しみ方をするために作られた、発声可能上映向きの一本。純エンターテインメントの様式で“リアルなオタ道”を訴えてくる作品である。
【作りについて……トータルの仕上がりが良質】
グダグダグダっとやや堅苦しい説明口調が混じっちゃう(頼っちゃう)のは『ジュラシック・パーク』でも見られた悪いクセ。でも本作は「楽しんでもらうところは徹底して楽しんでもらおう」と、スピーディなアクション場面ではセリフを極力抑えてある。そのメリハリが上等。
原作者アーネスト・クラインが、相当深いレベルまで映画作りに噛んでいるのも、本作が成功した大きな要因。
オアシス内の“何でもアリ”を作り出したVFXや美術は確かに凄いけれど、現実世界の「コンテナが縦に積み上げられた街」の描写こそがSF。各種のガジェットも楽しい。80年代ポップスの奔流と立体的な音響で耳も喜ばせてくれる。
それらを含め、映画としてのトータルの仕上がりが良質なのは主要スタッフに気心の知れたスピルバーグ組&一流どころを揃えたゆえだろう。
ウェイド役タイ・シェリダンがパッと見冴えないのも、サマンサ役のオリヴィア・クックが地味に可愛いのも、オタ映画としては正しいキャスティング。森崎ウィンはカッコよく、フィリップ・ツァオ君はキュートだ。
●主なスタッフ
脚本/ザック・ペン『X-MEN:ファイナルディシジョン』
編集/マイケル・カーン
撮影/ヤヌス・カミンスキー
音響/リチャード・ハインズ 以上『リンカーン』
衣装/カシャ・ワリッカ=マイモーネ
編集/セーラ・プロシャー 以上『ブリッジ・オブ・スパイ』
美術/アダム・ストックハウゼン『それでも夜は明ける』
音楽/アラン・シルヴェストリ『ザ・ウォーク』
SFX/ニール・コーボルド『ローグ・ワン』
VFX/マシュー・E・バトラー『エンダーのゲーム』
VFX/グレイディ・コファー『エリジウム』
VFX/ロジャー・ガイエット『フォースの覚醒』
スタント/ゲイリー・パウエル『スカイフォール』
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