IT/イット “それ”が見えたら、終わり。
監督:アンディ・ムスキエティ
出演:ジェイデン・リーバハー/ソフィア・リリス/ジェレミー・レイ・テイラー/フィン・ウォルフハード/ジャック・ディラン・グレイザー/ワイアット・オレフ/チョーズン・ジェイコブズ/ジャクソン・ロバート・スコット/ニコラス・ハミルトン/ジェイク・シム/ローガン・トンプソン/オーエン・ティーグ/ミーガン・シャルパンティエ/スティーヴン・ボガート/スチュアート・ヒューズ/ジェフリー・ポーンセット/モリー・アトキンソン/スティーブン・ウィリアムス/アリ・コーエン/ビル・スカルスガルド
30点満点中19点=監4/話3/出4/芸4/技4
【あらすじ……この街で何が起こっているのか?】
メイン州デリーで子どもが次々に行方不明となる。姿を消した弟ジョージーを見つけ出そうと、友人のリッチー、エディ、スタンと探索を進めるビル。そこへ転校生のベン、女子の間では鼻つまみのベバリー、屠殺業の見習いマイクも合流。彼らはみな「怖いものの幻が見える」という共通点を持っていた。不良グループからの暴行や親の干渉に悩まされながら、少年たちは真相へと近づいていく。
(2017年 アメリカ/カナダ)
【内容について……心理的恐怖と状況的恐怖】
小さい頃、何が怖かったかといえば、押入れの中の天井近くに見えていた謎の黒い影。まるで胎児のようなシルエットで、その押入れからは大急ぎで荷物を取り出さなくちゃならなかった。
それから壁の木目。これは多くの人に思い当たる節があるはず。ムンクの『叫び』みたいに顔を歪めながら地獄へ引っ張り込まれる人を想起させる、アレだ。
そして、実はピエロも。理由やキッカケは不明だ。なんでもピエロに対して恐怖心を抱く「道化恐怖症」というものが実際にあるらしく、本作(の原作、または以前に作られたTVシリーズ)や、ペニーワイズのモデルとなったジョン・ゲイシー(ピエロの扮装を好んだ実在の連続殺人犯)が原因ではないかと言われているのだとか。でも、原作は未読だし前作も観ていないんだよなぁ。
だから、もっと根源的な何かがあるのではないかと思う。たとえば古代の地球ではピエロのようなボディペイントやタトゥを施した呪術師が民衆を苦しめていて、その記憶が遺伝子レベルで現代人にも受け継がれているとか。
そんなわけでヤツは怖れられ、本作や『気狂いピエロの決闘』みたいな映画が撮られたり、ジョーカー(『ダークナイト』)のようなヴィランが生まれたりしているのだ。
ただし本作のストーリー/演出/雰囲気は、怖いというより「気味が悪い」とか「驚かされる」といったイメージ。『エイリアン』を初めて観たときのほうが、よっぽどブルブルガクガクした。
まず意外だったのが、ペニーワイズの存在がかなり早い段階で具体的に提示された点。「うわっ」とは思わされたものの、ホラーの常道からは外れた描きかた、「いつ何が出てくるの?」という怖さをいきなりスポイルする。それにこやつ、子どもがバットやチェーンで対抗できる程度のポテンシャルしかなく、もう観るのもイヤだと感じるほどの恐怖はない。
じゃあペニーワイズの機能は何かと考えると、それでもやはり恐怖の象徴ということになるのだろう。弟や親の死(に対する悔恨)、不気味な絵と写真、自分を不潔だと感じる強迫観念、病気……。そうした、子どもたちの心の中に巣食う“説明できない恐怖”、“冷静な分析や思考を許さずに恐怖を誘う対象物”を吐き出す存在。いわば心理的恐怖の権化。
そこへプラスして配されるのが“親”たちだ。ルーザーズクラブの7名と不良のヘンリーは、頭ごなしの叱咤、(おそらくは性的なものも含む)虐待、放任やごまかしなど、例外なく親に苦しめられている。この映画の親たちは、子どもたちを状況的恐怖へと陥れる存在となっている。
そして子どもたちは、心理的恐怖=ペニーワイズとの闘い(失敗すれば消えてしまうという恐怖もある)の中で、何もしなければ何も解決しないことに気づき、勇気を手にし、状況的恐怖からも抜け出そうとする。親たちによる抑圧と束縛と無理解を、一応の恭順や反発、あるいは親殺しという強硬手段によって、克服したり、やり過ごす術を身につけていくのだ。
もはやホラーというよりジュブナイル/ビルドゥングスロマンの趣である。
ただ、完全な答えはまだ出ていない。
例の押入れの中の黒い影は、結局ホコリの塊で、明かりを照らせば胎児とは似ても似つかぬ形をしていた。壁の木目だって、いまでは屁とも思わない。代わりに、大人になって痛切に感じるのは「お金がないのって怖い」ということだったりする(笑)。
本作の少年たちが抱える心理的恐怖と状況的恐怖はもう少し深刻だけれど、さあ果たして、本当に心理的恐怖を払拭し、状況的恐怖を打開することができたのか(早い話が大人になるための一歩を踏み出せたのか)、そのためにどんな手段・態度を取っていくのか、定かではない。
続編も観ざるを得ないわけだが、2年も待つことになるとは、それこそ恐怖である。
【作りについて……キャストの力】
前述の通り、かなり早い段階でペニーワイズの姿を見せてしまうのが意外。「何者の仕業?」「いつ何が出てくるの?」という怖さは薄れるわけだが、それが奏功。少年たちが対処したり乗り越えたりしなければならないものと、実際に乗り越えていく様子とを、たっぷり見せてくれる。
状況的恐怖と心理的恐怖の中で少年たちが心を通じ合わせていく描写は、ほとんど『スタンド・バイ・ミー』。たぶん原作からしてそうなんだろう。ただ、それが二番煎じ的な安さにならず、上等な“子どもたちの物語”になっているのは、脚本のひとりとしてクレジットされているキャリー・フクナガ(『闇の列車、光の旅』)のセンスが大きかったのではないだろうか。
シャープかつ絶妙の闇を映し出す撮影と、テンポのよさと不安の盛り上げを両立させた編集も見事。ほどほどの規模を持つ街の中層階級の子どもたち、という雰囲気もよく出ている。
撮影監督のチョン・ジョンフンは『お嬢さん』の人、編集ジェイソン・バランタインは『キラー・エリート』の人、美術クロード・パレは『猿の惑星:創世記』の人だ。
ほぼ全編に渡って響き続ける重厚な音楽と、次のシーンのSEを前のシーンに少しだけ乗っける手法が、恐怖を煽る。音楽は『ブレードランナー2049』のベンジャミン・ウォルフィッシュ、音楽監修は『マリリン 7日間の恋』のデイナ・サノ、音響は『ドライヴ』のヴィクター・レイ・エニス。
ヘアメイク/スペシャルメイクには『サイレント・ヒル』『シューテム・アップ』『エスター』などに携わったスタッフが起用されていて、SFXは新『キャリー』のウォーレン・アップルビー、VFXは『エリジウム』のニコラス・ブルックス。確かな技術で作品世界を作り上げている。
これらをまとめ上げるのは王道ショッカー演出。ビクっとはさせられるけれど、ある意味では想定の範囲内、「安心してビックリできる」という印象。「そんなのアリか?」がない。なので、本作の持つジュブナイル/ビルドゥングスロマンの味わいを悠々と楽しむことができる。
過去のスティーブン・キング作品へのオマージュやリスペクトも感じる。まぁ本作の原作にそうした描写があるのかも知れないが、血の奔流は『シャイニング』や『キャリー』を思わせるし、わざわざ少年たちの背景に陸橋を渡る貨物列車をうつし込むなんて『スタンド・バイ・ミー』を意識しているのは明らかだろう。
主要キャラクターの個性と配置と見た目も『スタンド・バイ・ミー』的なのだが、その楽しさとは別に、みんな上手い。相変わらずアメリカは幼い才能の宝庫だ。ほとんどの子役が長編デビューかそれに近いキャリア、せいぜい「アマンダ・セーフライドやロバート・カーライルの子ども時代を演じました」程度なんだけれど、きっとここから次代のスターへと育っていくのだろう。
とりわけジョージー役ジャクソン・ロバート・スコットくんの無垢な可愛らしさは、本編へと一気に引き込む力にあふれている。ベバリー役ソフィア・リリスは、華のある顔でも強烈な芝居でもないものの、近い将来ミニシアター系で主役を張れそうなキュートさと奥の深さを感じさせる。ベン役ジェレミー・レイ・テイラーも、キッパリとした好感度の高い芝居を見せてくれる。
大人たちも、ほぼ無名の顔ぶれ。だからこそ余計なことを考えずにすむので、歓迎すべきキャスティングだ。
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